よしなしごと

よしなし‐ごと【由無事・由無言】つまらないこと。益のないこと。たわいもないこと。とりとめもないこと。

蘆刈」を読んでみた。

吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

ひらがな多用の句点なしで、最初は読みづらかったけど、慣れるとすうっと文章が身体にしみいってくる、流麗な文体。時々文節がわからなくなって読み返したりしつつ、でも、美しい日本語だなあとしみじみと読む。

谷崎自身ががふと思い立って山崎(京都府)の川辺に出かけるという紀行文のような書き出しで始まり、そこで出会った見知らぬ男性から映画「お遊さま」で描かれたあの世界が語られる。紀行文と小説が一体化したような、夢でもない、うつつでもない、まるで夢幻能を見ているよう。複雑で入り交じった愛情が不自然でなく細やかに描かれるのはさすが。屈折した愛情が時に不気味に感じつつも、でも物語の本質はゆがんだ関係ではなく、そのような幻想的な世界なのだろうと思う。そもそも谷崎が出会う男性自体も幻だったのかもしれない。

そして、映画の「お遊さま」はこの「蘆刈」を見事に映像化しているなあと思った。お遊さまの贅沢三昧な遊興ぶり、生まれながらに美しく完璧に生まれついた女性の、無邪気に無意識に周りの人をかしずかせてしまう、その残酷さ、そしてまた、周りの人たちが何の抵抗もなく、というよりむしろ喜んでそういうお遊さまを受け入れてしまう様が見事に描かれていた。ただ一つ、お遊さま役の田中絹代はやっぱり失敗だったかなあ。お遊さまの美しさを谷崎は「蘭(ろう)たけた」と表現しているんだけど、表面の美しさだけでなく、存在するだけで惹きつけられてしまう強烈な磁場が映像の「お遊さま」には欲しかった、って、じゃあ誰だったら適役だったのかと言われると、思いつかないけど、とにかく、お遊さまの美しさは映像では重要なファクターだと思う。

ちなみに、お遊さまは谷崎最後の妻となった松子夫人の人柄からインスピレーションを受けて生まれた作品とのこと(巻末の解説より)、それを知って読むとまた一段と味わい深い。

あ、あと、岩波文庫の、この本の挿絵は単純な線画なんだけど、とてもよいです。